2019.12.17

ブログ

「厳愛」の意味を取り違えてはいけない

プロのコンサルタントを育成する塾の
講師を長年務めています。

私もコンサルタントとしては
まだまだ発展途上の身ではありますが、
独立当初に育ててもらったご恩を
少しでも返せればと、
後進を育てるために
持てる力の限りを注いでいます。

この週末2日間は、
その塾の今期の集大成ともいえるイベント、
経営診断報告会演習が開催されました。

塾生14名(欠席1名)が、
一人1社割り当てられ、
各自数ヶ月かけて独力で実施してきた
経営診断の模擬発表会です。

これまで何度も診断先企業を訪問し、
あるいは競合先企業や外部環境調査に奔走し、
悩み悩んでまとめあげた20ページの報告書。

その報告書を元に、
各診断先企業での最終報告会を想定した
35分間のプレゼンテーション演習。

プレゼン後には
私たち講師陣からアドバイスを送ります。

「分析が甘い!」
「その提案に根拠はあるのか?」
「経営者はどう考えている?」
「現場の動きを見てきたか?」
等々。

もちろん良い点は褒めるのですが
どうしても厳しい指摘になりがちです。

「受講生に少しでも成長してもらいたい」
という想いあればこそ。
さらには、
「何としてでも診断先企業に役立つものにせねば」
という強い使命感もあります。

しかし強く言いすぎてしまうと逆効果。
耳をふさがれてしまっては
元も子もありません。

「全ての因は我にあり」です。
聞き入れてもらえなかったとすれば
それは講師側の責任と考えなければなりません。

「厳愛」とは、
決して「相手に厳しく」あたることではありません。

相手の成長を心から願い、
その人のためになることだけを考えて
最善を尽くすこと。

つまり、「自愛」を捨て、
「自分に厳しく」振る舞うことなのです。

今この記事を書きながら
週末の自分の言動を
振り返っている次第です。

Insert your text here