2022.07.08
ブログ
純度100%の暗闇の中で気付いたこと
“純度100%の暗闇”を
体験したことがありますか?
先日
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
を体験してきました。
光が一切届かない
完全な暗闇。
本当に何も見えません。
その中で、
一緒に行った8人の仲間と共に、
ブラインドサッカー用のボールを使った
ボール遊びをしたり、
電車に乗る体験をしたり、
“おじいちゃんの家”の縁側で寛いだり、
公園でブランコに乗ったり、など
いろんな体験をしてきました。
視覚が一切通用しませんので
頼りになるのは
聴覚・嗅覚・触覚のみ。
そして、事前に手渡された白杖と
アテンドしてくださった
視覚障害の“じゅんじゅん”さん。
“何も見えない”という不安の中、
“じゅんじゅん”さんの
手ほどきを受けながら
互いに声を掛け合ったり
手を取り合ったりして
互いにサポートをし合います。
強烈に意識させられたのは
自分を含めた9人各々の、
人としての存在感。
足もとや周囲の環境を必死で探ると共に
お互いの存在を必死で確認し合いました。
逆に、
「自分はここにいるよ」
「今、こんな状態だよ」
と周囲に分かるように
何らかの形で発信していなければ
自分の存在が消えてしまうのです。
多かれ少なかれ
実社会でも同じような要素があると
感じました。
自己の存在をアピールしていないと
存在しないのと同じ。
特にネット社会では
まさにその通りではないでしょうか。
それはさておき、
恐る恐る動く私たち8人とは異なり
視覚障害の“じゅんじゅん”さんの動きは
驚くほどスムーズでした。
もちろん、
よく知ったホームグラウンド
ということもあるでしょう。
しかし、
そこが別の場所であったとしても
“じゅんじゅん”さんの動きは
大して変わらなかったと思います。
光も影もない世界が日常の前提ですので
視覚に一切頼ることなく
周囲の状況を把握する術や
スムーズに動き回ったりする術を
身に付けているのです。
それは、私たち視覚を持つ者が
持っている術とはまったくの別物。
視覚に頼っている私たちは
視覚に映らないものの様子を
なかなか捉えることはできません。
しかし彼らは
さまざまな気配を感じ取る能力に
長けています。
視覚者では気付かないような
小さな変化に気付くことも多いでしょうし
周りの人たちの心情の機微も
敏感に感じ取るのではないでしょうか。
人間性を見抜く力も高いかもしれません。
彼らには
「見えないからこそ見えるもの」があり、
私たちには
「見えるからこそ見失うもの」がある。
そんなことに気付かせてもらいました。
もっと言えば
このように視覚者と視覚障害者を
分けて考えることも
ナンセンスかもしれません。
人生経験は百人百様。
磨いてきた“感覚”も“能力”も異なります。
どんな違いに気付く“感覚”を持っているのか、
どんな環境でどのように対処できる“能力”を
持っているのか、
一人一人異なるのです。
一人一人が輝くためには、
その人の得意分野を見抜いて
その人に見合った仕事の与え方を
していくことが近道です。
もちろん、不得意分野に関する
成長の可能性を否定するものではありません。
画一的な人材育成計画は極力排除し、
その人それぞれの個性に見合った
育成計画を立てていくことが大事なのです。
私たちは皆それぞれ一人の人間。
手前勝手な偏見などは排除して
一人の人間として互いに尊重し合える
会社、社会をつくっていきたいですね。